校訓『自重献身』
日露戦争前後、全国的に生徒の気風が乱れ、頽廃的傾向を生み出しつつありました。このような風潮 を刷新するために、明治39年6月6日の開校記念日に、「自重献身」の校訓が制定されました。この「献身自重」のモットーは、当時の川田校長の発案で、種々討論の結果作成されました。川田校長先生いわく、『「献身」とは自己否定を意味し、これこそが善の最大なるもので、これなしでは人格の完成は 不可能である、また「自重」とは「献身」と矛盾するものではなく、良心の命令に従って私利私欲を滅し、人格を完成することがもっとも自己を尊重するもので、これこそが本来の自重というもので ある。自己否定の献身の精神は、人格完成の唯一の途であり、自己を最も尊重することになる。』 ということになります。
標語『自発能動』
昭和初期、社会の行き詰まりの中、満州事変が勃発し、日本は軍国主義に傾倒して行きました。 政府は非常時を強調し、国民精神作興の運動が盛んに行われました。反面人々にはやり切れない 思いの中、頽廃的な傾向が見られました。しかし本校では、当時の小平校長が、創立40周年の 昭和7年、「自発能動」を発表され、あくまで生徒の自主性を尊重し、これを涵養することを念願し、単に権力に追随することはありませんでした。小平校長先生の教育方針が、この「自発能動」のもと、 常に教育の独自性、教権の確立を信条とし、確固不動のものであったからこそ、時代の激動の中にあっても生徒は、ひたすら本分に励むことができました。